森尾友宏先生と出会った頃

森尾友宏先生、長い大学勤務と10年近くの小児科教授職ご苦労様でした。歴代の小児科教授が医科歯科大学小児科の土壌を耕し、矢田教授により種がまかれ、芽を出し、育ち、今日多くの業績という果実を得たことはひとえに貴方のお陰です。心より感謝いたします。貴方が入局した昭和58年は、私が小児科助手を拝命した年でした。都立駒込病院で血液学の研修を受け、墨東病院で小児科血液外来を繁田先生から引き継いで、大学に戻ったのは昭和56年でした。当時は血液グループ挙げて骨髄移植に取り組み始めた頃と思います。貴方とは一時オーベン・ネーベンの関係でしたが、素直な研修医の態度の中に批判する姿勢が保たれていたのを思い出します。私はネーベンには、オーベンの言ったことはその場では素直に受け入れろ、しかし必ず正しかったかどうか後で確かめるように言ってきました。ネーベンは研修時代に大きく成長しますが、オーベンもまだ医師として完成されておらず、成長しなければなりません。両者が指導医・研修医の関係でお互いに研鑽する状況は今も変わらないと思います。
当時はよく研修医が私の家を訪れて、家内の手料理で食事をして、お酒を飲んだものでした。泉田先生の年から始めたと思いますが、あなたも私の家で楽しんでいましたね。竹田先生や増井先生もご一緒ではなかったでしょうか。遅くまで会話が弾んでいました。ところで私が友人や医局の医師の自宅に泊ったことは2回あります。大阪の友人宅(大阪母子医療センター総長宅)と医局ではあなたの実家です。どのような経緯でそうなったかは覚えていませんが、大阪での学術集会、おそらくCD分類の国際シンポジウムの時ではなかったでしょうか。当時健在であったあなたのご尊父から歓待を受けました。また森尾先生ご夫妻と一緒にコロラド州ヴェイルの国際リンパ腫の会に参加したこともありました。搭乗した飛行機が嵐に巻き込まれ、激しく揺れたり、メンフィスに寄って帰る途中、ホテルのバーのTVで目撃したものは? それは最後の宿泊先であるサンフランシスコの大地震(1989年10月)であり、そのまま急遽帰国した思い出があります。貴君とは一緒にいろいろ経験を積みましたが、みんな楽しい思い出です。貴君の功績に対して心より敬意を表します。