退任に寄せてのメッセージ

高橋 聡先生

たかはし さとし

東京大学医科学研究所 臨床精密研究基盤社会連携研究部門

森尾先生との15年

森尾先生が小児科の教授職からご退官と伺い、これまで重責を全うされたことに心からお祝い申し上げますと共に、大変お世話になり、あらためて感謝申し上げます。本HPに寄稿されておられる方々に比べて私は先生とご一緒するようになってからの時間は短い方かもしれません。血液内科がベースである私は、森尾先生のお仕事については懇意にさせて頂く以前から、学会や移植関連の班会議などを通して、免疫不全の専門家であること、活性化T細胞療法の臨床応用を積極的に取り組んでおられるという程度の理解でした。

森尾先生と最初に直接お話しすることができたのは、私が造血器腫瘍免疫療法研究会(現 日本血液疾患免疫療法学会)の学術集会に参加するようになった頃かと思います。この学会が組織された初期の頃は道後温泉(安川先生が会長を務められた第2回)や別府温泉(谷先生の第3回)で開催され、夜は飲み会のあと、温泉でまさに裸の付き合いをしながら議論に花を咲かせていたような素晴らしい雰囲気の研究会で、私は学術集会の後のそのような時間を目的に参加するようになったのが正直なところです。そのころ、以前私が留学しておりましたBaylorの細胞・遺伝子療法センター(CAGT)で開発された方法を用いて、既に米国では臨床応用に進んでいたCMV、EBV、AdVなど多ウイルスに対する抗原特異的T(mVST)細胞療法を日本でも立ち上げようとして、Baylorからの支援を受けながら2008年から私が主宰していた厚労省班会議をプラットフォームとして研究を進めようと考えておりました。一方で、臨床応用の現実化させるためには、細胞療法の実績の点からも、またCPCの運用実績からみても既に日本のトップランナーであった森尾先生と是非、研究をご一緒しなければと強く思うようになり、勇気を出して森尾先生にお願いしましたところ、分担研究者としてお入り頂くことを承諾して頂きました。しかし既に大変お忙しいご様子であった森尾先生に何とか本気になってもらおうと、実際に動き始めるまでは私も必死でした。この班会議には、当時は医科研でHIVを標的とした細胞療法に取り組んでおられた立川(川名)愛先生にも入って頂き、現在の研究グループの原型が出来上がり、その頃から月に1回、医科歯科の森尾先生のお部屋や会議室でミーティングを行うようになりました。ミーティングでは、医科歯科大学のチームの皆さんとも対面で意見交換をさせてもらい、細胞調整グループの知識の豊富さと技術の確かさに驚くとともに、そこまでに育て上げられた森尾先生の指導力に改めて感服したものでした。森尾先生は会議が終わると直ぐに次のご予定へ移動するために、○○タワーの十数階の会議室から階段を走るように降りていくのが常でしたが、私は他の皆さんと共にエレベーターで降りていく途中で「森尾先生は昇りの際もエレベーターを使わず階段をお使いになる」という話を聞き驚愕ことを覚えています。厚労科研の期間終了後も、森尾先生は自ら、mVST細胞療法に特化した研究課題を2期にわたってAMEDに申請され、現在に至るまでこの研究を牽引して頂いております。パンデミックを契機に毎月のミーティングをZoom開催としたため、森尾先生やグループの皆さんと直接、お会いする機会が減ってしまったことは少し寂しく思います。

おそらく、他の先生方の寄稿でさらに詳しく述べられることかと思いますが、お会いしたころから小児科領域の先生方からは、ダンディ森尾、とも、バロン森尾とも呼ばれている、と伺っておりました。芸術に対する見識の深さについては、私は全くの門外漢であるため、ついぞそのようなお話を伺うような恩恵に預かる機会はこれまでありませんでした。これから益々お忙しくなって、もう仕事以外ではお相手して頂けなくなるかもしれませんが、可能ならばまたリラックスした時間を共有させて頂き、そのようなお話を伺えたらな、と思っております。

プロジェクトはいよいよ臨床応用の段階に進む重要な時期に進みますので、森尾先生には今まで以上のご無理は避けて頂きながら、これからも指導のほどよろしくお願いを申し上げます。