退任に寄せてのメッセージ

田中 雄二郎先生

たなか ゆうじろう

東京医科歯科大学 学長

森尾先生と初めて出会った時

森尾友宏先生、ご退任誠におめでとうございます。森尾先生の輝かしい業績については、他の先生方にお任せし、私は森尾先生と初めてお会いした時(2001年)のことをご紹介したいと思います。

森尾先生は当時、小児科の医局長でした。私は新設された総合診療部の教授に選ばれたばかりで、助(准)教授の人選に頭を悩ませていました。私も総合診療の専門家ではなかったのですが、総合診療部を教育、診療、研究のロジスティクスを担う病院部門と位置づける提案をして、それが認められ、教授に選ばれました。そのマニフェストを実現するために、誰を起用するかということで悩んでいたのです。今からは考えられないくらい、当時、教員の数が増えることはほとんどなく、総合診療部の助教授のポジションは全学的にも注目されていました。当時の外科の教授たちから連名の「助教授は外科から選出すべきだ」という手紙を頂いたこともありました。森尾先生も小児科の医局長として、適切な人材を登用してほしいということで私に会いに来られました。初対面でしたが、森尾先生の名前は以前より耳にしており、小児科の逸材として評判も良かったので記憶にも残っていました。その森尾先生が目の前に現れいろいろお話を聞くうちに、助教授は森尾先生ならば…と思いました。森尾先生は、当時細胞治療センターの設立に尽力されていましたが、小児科の助教よりは総合診療部助教授のポジションがプラスに働くだろう、助教授には個室も用意されていましたのでそれも役立つであろうとお話ししました。森尾先生は自分を売り込みにこられた訳ではなかったので、その場では再検討ということになりました。

その後の話し合いで、総合診療部のエフォートならばということになり、異動が決まりました。総合診療部は新しい部署でしたので、その存在感は誰がそこにいるかにかかっていました。その意味で、森尾先生を初代の助教授に迎えたことは、総合診療部のプレゼンスを高める上で大きな意味がありましたし、結果的には、マニフェストにあった病院の改革を細胞治療センター、臨床研修センターの設立など、すべて森尾先生と共に行うことができました。

人との出会いは不思議なもので、上手くいけば素晴らしい結果をもたらし良い縁だったということになります。その良い縁が、今に至るまで続いていて、私が学長になっても執行役副学長として先生に助けていただいていることに心より感謝しています。

森尾先生、長い間本当にありがとうございました。今後も引き続きご健勝の下、ご活躍されることを心から願っています。